girl my friend/マカロニえんぴつ を少し考察したい
分かりきったことだけを確かめる夜がたまらなく好きな男こと、どうも田舎大学生です。
本日は『girl my friend』をやりたいと思います!この曲も『two much pain』と同じくアルバム曲ではあるもののものすごく人気のある楽曲の1つですね。今年のフェスではリハで披露されることが多かったでしょうか。少し長めの持ち時間があるライブの際は2曲目に演奏するイメージです。僕が今年の3月に行ったワンマンでは『ブルーベリー・ナイツ』の直後がこの曲で、めちゃくちゃ胸熱でした。
僕は音楽的素養がないので難しいことは全然分からないんですが、この曲はイントロとかはっとりの歌の後ろで流れている楽器のメロディーがめちゃくちゃいいですよね。例えばイントロでは「僕」の心が揺れている感じが伝わってきます。あと急に音が無くなったりして、ふと我に帰った瞬間みたいなものが表現されていて、歌詞だけでなくメロディーによっても心へのアプローチがきて最高です。あと曲と詞がものすごく合ってますよね。
ちなみに『girl my friend』は筆者の好きなマカロニえんぴつの楽曲トップ3には入ってくるくらい大好きなので熱が入るかもしれません。考察前の予想としては、そんなに抽象度の高い歌詞でもないしあんまり具体的につらつらと書くのも野暮なので、そこまで長くならないかもですね。
既に前置きが長いと思ったそこのあなた!僕も思ったので早く本題行きますよ!
※今回のブログでは「僕」は曲中の主人公、僕は田舎大学生のことを示しています。紛らわしくてすみません。
タイトル『girl my friend』
気になるのは、my girl friendではないことですよね。文法的にはmy girl friendが正しいと思うので、これはあえてこのように倒置してあると思います。
Google翻訳大先生によれば、
という違いがあるそうで。わざわざ『girl my friend』にしているということは、「僕」の彼女ではない、おそらく歌詞の世界的には彼女ではなくなってしまったという方がより正しそうです。
このタイトルは非常に良くできていると思うんですよね。はっとりってこういうキャッチコピー的なワードセンスは特に長けていると個人的には思っていて、聞き慣れている言葉を少し崩すことによって違和感のとっかかりを作れるというか。言葉遊びの面はもちろん、考察の幅も広がるし気が利いてますね。
まあ長々と書きましたが、つまりこの曲は「友達の女の子」についての歌だということです。どれだけ恋愛について歌っているとしても。悲しい。
歌詞の考察
分かち合うほど無意味になる歓びに
今気付いたんじゃなあ
もう辛い。分かち合うほど無意味になる…。「僕」は女の子のことがめちゃくちゃ好きなんだと思うのですが、女の子はそうではないんですよね。いつからかもう別れを見据えている。
そうとは気付かずに「僕」は色々な話をして、女の子と楽しみを共有していたんでしょう。ただ、そんな楽しい時間もお別れを決めている彼女にとっては無意味だったと。ここはあえて突き放すような言い方をしていますね。
余談ですが、僕は若手バンドが好きでよくYouTubeで再生回数10万回いかないくらいのバンドを聴くのですが、めっちゃいい!と思ったものを仲の良い友達に勧めたりするんですよ。バンド好きな人あるあるだと思うんですけど。それで、いいね!って返ってきたらもちろん嬉しいんですけど、その後日とかにそういえばあのバンドの新曲聴いた?みたいな話を振った時に、それなんだっけ?みたいな反応されるともうバカ辛いんですよ。「いい」とか「好き」っていう言葉には人によって度合いがあるとは分かってるんですけど、その表面上だけの「いいね!」を与えられるくらいだったら正直に「そんなにかなぁ」って言ってくれた方がマシです。こっちは心の底から共感しあえる同志を見つけたつもりでいますから、勝手な感情なんですが、裏切られた!みたいに思っちゃうんですよね。この共感してもらえた一瞬の歓び→実はそうでもなかったみたいなすれ違いが起こる時ってめちゃくちゃ無力感に苛まれて、悲しくなっちゃうんですよね。それでも奇跡を求めて勧め続けちゃうんですけど。僕はこの歌詞を見てそんな事を考えてました。まあちょっと主旨とズレてるんですが(笑)。
僕じゃない誰かとそれなりにね
めちゃくちゃ強がっててかわいさすらありますね。「僕」くらい女の子を好きな人は他にはいないと思うけどね?ってな感じで元彼から次の彼への宣戦布告みたいな感じでしょうか。
信じるためについてくれた優しい嘘に
今気づいたんじゃなあ
これがどんな事を指しているのかまだまだ人生経験の浅い僕には分からないところはあるんですが、とりあえず歌詞だけから読み取れる情報は、おそらく女の子は「僕」のことを信じきれなくなったっぽいですよね。ということはそうさせる何かが「僕」にはあったことになります。まあベタな感じだと「僕」はすごい人気者で〜とか。で、この女の子以外の人たちと頻繁に遊んだりしてて。女の子は目移りしてしまうんじゃないか、もしかしたら遊ばれてるだけ?とか心の中では思いながら、「僕」を止めることはなく毎回優しく送り出してたと。そして、そんな女の子の優しさに甘えすぎた結果、ついに女の子の我慢の限界が来てしまったみたいな感じでしょうか。
まあ個人的な印象としてはマカロニえんぴつの曲の主人公に人気者は合わない気がするのでアレですが(笑)。
ただそれだけ「だから何?」
なんで泣くかなぁ
分かってない 分かりたくない
このセリフはどっちのものなのか問題はありますけど、まあ女の子じゃないかと思いますね。「僕」が言い訳がましくペラペラ喋ってることに対して、あれほど優しかった女の子が「だから何?」と言った。人間関係において信頼って大事ですよね…。信じられなくなったら何言われても全然響かなくてどうでもよくなっちゃいますから。女の子が泣いている理由は本当にいろいろ考えられるのでここではあえて書きません。それぞれの思った理由が全部正解なんだと思います。
分かりたくないと言っている「僕」ですが、この涙の理由にもいつか気付く日が来るんでしょうね。
震える声「またいつか」
いつかなんて来ないの
分かってる 分かってるけど
これは「僕」ですかね。その後の歌詞的にも。マカロニえんぴつの曲にはよく「縋る」って言葉が出てきますが、これもそんな感じですね。未練タラッタラですよ。
ただそれだけ「あのねまだ」
なんで泣くかなぁ
分かってる 分かってるから
これは女の子の発言ですね。でもこれが1番解釈難しくないですか?それなのに「僕」は分かっているみたいなんですよね。これは2人の関係の終わりを指しているのかなんなのか判断できないところですが。
「またいつか」って言ったら普通そこでお別れですよね。にもかかわらず「あのねまだ」。まだ言い足りないことがある。優しい女の子のことですから、最後に不満をぶちまけるようなことはしないはず。だとすれば最後に言いたいことは、女の子も「僕」のことが好きだったことしかないですね。そして、そんなことは分かってると。でも終わってしまうなんて寂しすぎる曲だ…。
もし邪魔じゃなかったらどっかに
仕舞っておいて
マカロニえんぴつの曲には、こんな感じで「忘れないでね」的なニュアンスも頻出します。例えば『keep me keep me』とか。恋愛だけじゃなくて、バンドについて歌う時も素通りしないでねってな感じですから、人の記憶に残ることに強い執着を感じますね。
この言い方はかなり控えめというか、抑えてる感じですけど。
おわりに
「僕」がごめんねしか言えないところがいいんですよね。女の子が何に怒ってるか正確に把握し切れてない時の男ってこうなりますよね。平謝り。で、なんで怒ってるかわかる?って聞かれたら詰むやつ
謝って取り返しが付くことならよかったんですが、今回はそうもいかなかったみたいです。これも「触れそうな後悔」ですね。忘れるなよ、「僕」。
それでは。